|
|
|
|
 |

 |

保守的といわれる民謡界にあって、坂越達明は異色の存在かもしれない、地場の民謡が少ない静岡に生まれ育ち、中学生でコンクール荒らし、初代浜田喜一さんの門を叩き、同時期に津軽三味線の初代木田林松栄さんにも学び、さらには歌謡曲の船村徹門下としてロック歌謡「スナッキーで踊ろう」でデビュー、再び民謡の世界へ。現在は故郷清水市を拠点に「民謡ルネサンス」を唱えて、つねに民謡の原点を見据えて帽広く活動している。
|
| 月間みんよう文化1月号 |
平成10年1月1日発行 |
| 月間みんよう文化2月号 |
平成6年2月1日発行 |
|

昭和十七年七月二十四日、静岡県清水市真砂町に、父、坂越亨、母、ふみの間の五人きょうだいの二番目、長男として生まれる。本名同じ。
坂越が民謡に興味を抱き始めたのは十一歳ごろだった。直接の影響は父だが、祖父も大の芸好き。特に神楽をやっており、大鼓も踊りもして、正月には獅子舞で門付けをするなど、いずれも玄人はだしだったといい、その影響を父が受けたのもうなずける。
父親の亨さんがある日、居酒屋で出会ったのが新潟生まれの民謡人、小島昇玉。ふと口ずさんだ民謡を聴いて「少し唄を勉強してみませんか」と勧められ、昇玉のもとに通うようになる。そのうちに、昇玉が坂越家に来るようになると、民謡好きの連中が集まるようになり、坂越家は自然発生的に民謡サークルの体となり、当時清水市にはまだなかった民謡教室が初めてできる。
ちなみに清水、静岡は比較的地場の民謡が少ない土地柄だが、大手造船所や企業に東北地方から季節労働者として来て働いている人が多く、日常のなかに民謡があった人たちの影響で、民謡がさかんだったという。
「母も自分では唄いませんが、好きでしたし、家が民謡のサークルで、毎日毎日家には民謡が流れ、いやでも覚えてしまいます」
こうして坂越が十一歳のころ、「正直子供ながらに変なことをやってるなあと思いましたが、当時浪曲や詩吟が流行っていたなかで、民謡は比較的とっつきやすいメロディーでしたから、毎日聞いているうちに何となく好きになりました。そういえば、駅前を通るといつも初代鈴木正夫さんの『斉太郎節』が流れていましたね」。
そのうちに昇玉から「一曲唄ってみないか」といわれ、『ソーラン節』を唄うと「本格的に勉強してみろ」の二言。
それから坂越の民謡修行が始まった。
「とても厳しい先生でしたが、今思い起こすと考え方もしっかりしていましたし、歌も達者で、特に『越後追分』は絶品でした」
ちなみにその『越後追分』をアレンジして、昇玉は『駿河追分』をつくり、これを坂越が唄ってコンクール荒らしが始まるのだった。
最初の大きなコンクールは、地元ラジオ静岡主催の『お国自慢のど白慢コンクール』、十四歳で出場し、地区代表となり、全国大会で二位になる。
「そのころ、近くの温泉場に行くと、お年寄りがいて、その前で唄うとおひねりをいただきましてね、唄うとお金がもらえるんだと子供ごころに思ったものです」
そして高校に入ると、年齢制限が解けてNHKののど自慢に出場する。第十二回の昭和三十二年、『箱根馬子唄』を唄い、全国大会で三位となる。
この間、「本当の追分を唄いたかったら東京の先生を紹介するよ」と昇玉の紹介で、『越後追分』の宗家ともいわれた伊東東水のもとに単身東京へでて、土曜日曜にかけて泊まりがけで勉強する。
「親父は自分で『佐渡おけさ』を唄いたくて佐渡まで行き、あの名人といわれた村田文三先生のところで何度か直接教えを受けたことがあるくらい、熱心でしたが、それで私にもこと民謡に関しては投資をしてくれたというか、ある面賭けてくれたところがあったようです」

坂越の実家は自動車修理工場で、坂越自身も高校を卒業して一時修理の手伝いをしたことがあったが、NHKのど自慢で入賞したこともあって、将来は民謡の唄い手になりたいという夢を実現する方向で、その道を歩む。
そのきっかけとなったのが青木好月であり、青木を紹介してくれた旭川出身で『江差追分』を全国に広めるために行脚していた国原州月だった。国原とは清水市で出会い、坂越も、また父も手ほどきを受けたが、コロムビアに坂越を紹介し、その折りにそいがけをやってくれたのが青木だった。
「東京の青木先生のお宅に何度もお邪魔し、お話も伺いましたが、そのなかから『ちゃんとやるならすごい人を紹介するよ』と、連れられて行ったのが神保町にあった初代浜田喜一先生の追分道場でした」
坂越が十九歳の時だった。
「二階にあがり、『初代さん、一人この子の面倒をみてくれや』と青木先生が私を紹介してくださり、初代が顔をあげて私と目があったんですが、その時の第一印象は『きれいな顔をしているなぁ』でした。紺色の背広を着て、背筋を仲ばして、見事な貫禄でした」
当時十人ぐらい、教わっていたが、もちろん坂越は最年少、その教えは厳しく、一人の稽古時間はせいぜい五分から十分、年配者には比較的ていねいに教えていたようだが、若手には「自分でどんどんやってこい」というところが多く、稽古中もあまり口をきかなかったという。
道場で教わったのは『江差追分』だけだったが、そんななかで初代の言葉は「譜面ができてしまったために声までも作って、節回しも寸分の違いなく唄おうとするようになり、個人の持ち昧や江差追分のおもしろさが薄れてしまった。譜面通りにすると、追分を本当に楽しんで唄う部分がない」ということだった。
その一方で、時を同じくして坂越が興昧をひいたのに津軽三昧線があった。
「高校をでてすぐくらいのころに、ラジオで津軽三味線を聴きました。あまりのすごさに、その時の演奏者だった木田林松栄(初代)という名前だけを頼りに翌日、親父からお金をもらい、青森へ行きました。最初青森駅に降り、食堂の人に尋ねたら『木田さんなら弘前だよ』と言われ、弘前に行きました。そして弘前日劇というところに行きましたが、木田先生は出ていませんでした。でも、そこで本物の津軽民謡を生で聴いて、その生命力、バイタリティを目の当たりにしておおいに刺激を受けました」
若さゆえの坂越の行動力は、翌日東京に行き、木田のいる池袋の白雲閣へと向かわせた。
「そこで木田先生にようやく会えることができました。いきなり弟子にしてください、とお願いしたところ、『教え方も知らないし、おれは弟子はとらない』と、一枚のレコードを渡され、『これで覚えてこい』と言われました」
だが、どうしても津軽三味線をやりたかった坂越は、東京に居を構え、木田のいる白雲閣にカバン持ちとして入る。そのころの白雲閣には若き日の原田直之、矢下勇、高橋祐次郎、それに浅利みきらもいて、互いに切瑳琢磨、実力を身につける場として隆盛を誇っていた。そのなかに坂越もいて、木田の手を盗みつつ、舞台を踏みつつ、修行の日々をおくった。
「その間をぬって初代先生のもとへも通いました」
何とも贅沢な二人の師匠についた坂越だったが、初代が病気になり、その間、代稽古をするようになり、白雲閣から離れるようになる。

元唄を聞かせれば血を感じる
そんな坂越にひとつの転機が訪れる。
「まだ若いんだし、これから民謡を唄ってオールマイティに唄えるように勉強していかなければだめだぞ」
と、初代浜田喜一からアドバイスを受ける。
そしてディレクターの掛川尚雄が保証人になって預けられたのが、作曲家の船村徹のもと。
「運転手をしながら、三年ぐらい内弟子同然の生活をしました。その間、民謡の活動はストップしていました」
歌謡曲の心を学んだ四年間だったが、昭和四十年、『海道(かいどう)はじめ』の芸名で歌謡曲でのデビュー曲『スナッキーで踊ろう』をだす。そして、再び民謡の道に戻る。
四年間のブランクがあったが、民謡への情熱を取り戻した坂越は、以前にも増して積極的な活動を展開する。
たとえば、四十八年から舞踊集団『菊の会』の音楽部門を担当することにより、日本のミユージカルにも取り組む。また、文化交流の一員として旧ソ連、東南アジア、インド、フランスなど各国の公演に参加する。
そして四十九年には坂越達明リサイタル『わが心の故郷』を開催、五十一年には民謡生活二十周年記念公演−坂越達明『日本を唄う』を開き、五十四年にはCBSソニーの専属となる。
また六十年には芸術祭参加作品『かもめの唄』を、翌六十一年には日本民族芸能団の一員としてエジプト、中近東を訪問する。
「民謡を箱の中に入れちゃって、これでなきゃと決めつけるのは違うと思いますね。もともと民謡は大衆のもの、作業歌ですから、もっと一般の人に返さなくてはいけない時代にきているんじゃないでしょうか。幸い私は静岡で実際に作業しながら口ずさんでいた『茶もみ唄』や『茶摘み唄』を聞いて育ちましたからね。その心をこれからは伝えたいと思っています」
若い人に民謡の良さを伝えるのも、必ずしも現代風にアレンジしたもので迎合するのではなく、「元唄の音源をさがして聞いてもらう。元唄じゃなくては、血を感じることはできません」。
いま、坂越が力を入れているのは、『民謡考・民謡ルネサンス』を名づけた地元でのライブ活動。民謡の原点を見つめながらつねに新しいものをも探究する積極性を忘れていない。
| みんよう文化1月号 |
平成10年1月1日発行 |
| |
産経新聞社 |
|
| ▲ページ先頭 |
|
| |
 |
◆静岡事務所◆
・坂越民謡アカデミー
・民謡坂越会本部
〒424-0816
静岡県静岡市清水区真砂町4−20
TEL:0543-64-6420 |
◆東京事務所◆
〒165-0026
東京都中野区新井4-16-2 パシフィックニュー中野209号
TEL:03-3386-9083 |
| 公演情報、講演依頼、その他お問い合わせはこちらよりどうぞ |
| |
静岡名物
自然薯のとろろ汁 |
|
昔なつかしい癒し系
ブロードウェイのやすらぎ |
 |
|
 |
|
|
 |
|
| |
 |
| Copyright(C) 2005 坂越達明. All Rights Reserved. |